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2010年 11月 12日 エノケン一座の旅⑥ 尾北
 尾北演劇鑑賞会は愛知県江南市にあります。
 愛知県北部、つまり尾張の北部ということでしょうか?創立20年ほどになるそうです。20年前と言えば『しのだづま考』を初演して、右往左往していたころです。
さて、昨日までは三重県にいたので、関西方面のアクセントだったのが突然、中京方面のアクセントに変わるので町の人の話し方をとても興味深く聞いていました。なんでも木曽川を超えたらアクセントが変わるんだとか…。ということは三重県まではタイガースファンで、木曽川を超えるとドラゴンズファンになるんですかねえ。
 江南市は名古屋から20分ほど、岐阜県とも接しているので交通の便もよく、ベッドタウン化して人口も増えている様子。演劇鑑賞会の会員さんも比較的若い世代が多く、芝居もテンポよく進みました。
 日に日に発見があり、劇中のエノケンの台詞「芝居は生きもんだからねえ、子供を育てるようなもんだからねえ」というのを実感しています。たぶんお客様が芝居を育ててくださっているのです。
 
# by kyorakuza | 2010-11-12 22:22
2010年 11月 11日 エノケン一座の旅⑤ 四日市
 妹尾河童さんの舞台美術の評判がスゴクいい。いや、これはどこに行っても言われることなのですが、今日の終演後のロビー交流会でも評判になりました。
 河童さんは近年自らの戦中体験をつづった「少年H」の作者としての名前が大きくなって、作家が舞台美術をやってると勘違いしている人も多いのですが日本を代表する舞台美術家です。芸能座の研究生のころからお世話になっているのですが、僕が初めて紀伊國屋ホールで主演をつとめた『ゴドーを待ちながら』(作 S・ベケット/演出 栗山民也)の美術も河童さんでした。芸能座が解散し僕ら研究生は一本立ちもままならず右往左往していたころ、この話が舞い込み今は日本を代表する演出家の一人となった栗山民也氏の初演出として上演されました。
 僕らに紀伊國屋ホールデビューを飾ってくれたのは、芸能座の制作部長だった小川洋三さんでした。僕らには当然お金はなかったのですが、河童さんはその仕事を引き受けてくれました。極力お金のかからない美術。でもこれがすごい。月とレンガの壁が出てくるのですが、すべて白のハッポースチロール。でもこれに照明があたると、情景が千変万化するのです。
 
 今回も、河童さんは何度も稽古場に通いプランを練ってくれました。シンプルなのですがさすがに河童美術です。最初に僕は予算と京楽座のトラックの大きさを伝えました。トラックの大きさは2トンロングです。「断られるだろうなぁ」と不安だったのですが、快く引き受けてくださいました。
 河童さんに教わることは多いのです。ビールのうまい注ぎ方。カステラのおいしい切り方。そのほかあまりにもったいないので他人には言わないことにしています。でも、今日は一つだけ。
 河童さんの結婚記念日です。河童さんは毎年2月6日を結婚更新日にしているのだそうです。べつに紙に書いて確認するのではないそうですが、ちゃんと言葉で「もう一年お願いできますか」といって更新するのだそうです。そしてその更新が来年で50回目だそうです。先月末、紀伊國屋ホール公演の打ち上げで聞きました。

 おっと、四日市はまず会場がタイトで見やすかったのでしょうか、お客様が最初からのってくれました。出演者も旅に出て、そろそろ疲れもたまるころなのですが、お客様の拍手で疲れも吹き飛んでしまいます。感謝!
# by kyorakuza | 2010-11-11 22:40
2010年 11月 10日 エノケン一座の旅④ 伊勢 津
 伊勢の演劇鑑賞会に初めて行ったのは'79年の秋だったでしょうか。『しみじみ日本 乃木大将』(井上ひさし作/木村光一演出)のツアーで、泊ったのは「麻吉旅館」というかつては遊郭だった古い旅館でした。座長の小沢昭一さんがこの旅館を好きで、芸能座で伊勢に伺う時はきまってここでした。僕たち研究生は大部屋に雑魚寝です。あまりに古いのでスースーと隙間風は吹くし、部屋も水平状態ではなく傾斜していました。
 今は、ビジネスホテルやシティホテルが主流となって快適な旅になりましたが、たしか麻吉旅館の近くに芸能の神様「アメノウズメノミコト」の祠があって、「アマテラスオオミカミ」よりこっちのほうをありがたがって拝んだ記憶があります。
 上演会場の伊勢観光会館は25年ぶりくらいでしたが、発声練習や楽屋裏を通ったりするうちに記憶がよみがえってきました。実は伊勢演劇鑑賞会には17年ほど前に『しのだづま考』でお邪魔しているのですが、この観光会館が改装中であったために、近くの文化施設で上演しました。
 また12年前の『をぐり考』初演の折、ここの会員さんたちがツアーを組んで上演会場の熊野本宮大社まで足を運んでくださいました。
 伊勢演劇鑑賞会にお邪魔するのは6回目でしょうか。
 『中西和久のエノケン』を招くために例会担当の会員さんが、『洒落男』の替え歌を作って新入会員を増やしてくれたんだそうです。約半年がかりでしょうか、エノケンPRのために広報誌を作ったり寸劇を作ったりいろんな取り組みをして迎えていただきました。感謝感謝!
 おかげさまで反応も上々でした。

 先ほど津での上演を終え、宿に帰ったところです。
 京楽座の上演会場は三重県総合文化会館中ホールでしたが、大ホールはアムロのコンサートでした。
 楽屋口に行こうとしたら若い女の子たちがずらーっと並んでいたので「お、今日の客層は意外と若い子だなあ」とにんまりしたら…やっぱりアムロのファンでした。
 今回の再々演、紀伊國屋ホールから数えるとまだ10回くらいの上演ですが、芝居がお客様に育てられています。そして出演者一同も確実に育っています。
 客席の年齢層に幅があって、舞台に立っていながら客席に感動していました。小学生から80代くらいかな?僕が劇中、トランペットで「戦友」を吹き始めると一番前のおばあちゃんはじっと目頭を押さえているし、歌いだす人もいるし、それを見て小学生が目をまん丸くして芝居に乗り出してくるし…芝居は役者ばかりでなくお客さんが参加してはじめて作られるということを実感しました。
# by kyorakuza | 2010-11-10 22:07
2010年 11月 08日 エノケン一座の旅 ③ 大垣
 あのー恥ずかしながらこのたびCDデビューを果たしました。『中西和久のエノケン』サウンドトラック版1部1,500円です。紅白を目指しています。応援よろしく。
 さて、今日は大垣演劇鑑賞会主催。会場は大垣市スイトピアセンター文化ホール。600席位、客席の勾配がちょうどよく見やすい会場です。見やすいということは演じるほうにとってもやりやすいのです。台詞が客席にかかりやすく、客席の反応も上々。
 終演後のロビーでのお客様との交流も、短い時間でしたが楽しかったです。
 秋のこの季節にツアーをやれて幸せです。暑くも寒くもなくいい季節になりました。
 
 明日は伊勢。
# by kyorakuza | 2010-11-08 21:06
2010年 11月 07日 エノケン一座の旅② 幸田 豊橋
 毎日更新するつもりがやっぱりダメ。
 11月4日(木)は前日に続いて同じ愛知県の幸田町。5日(金)6日(土)が豊橋でした。
 紀伊國屋をはねて、翌日から旅に出てまだ5ステージを経験しただけなのに俄然と芝居が回転しだしました。これはお客様の力ですねえ。
 この『中西和久のエノケン』の中に「芝居ってのは、役者とお客さんが一緒になって作るものなんだよ。そこが醍醐味なんだよ。そうは思わねえかい?」というエノケンの台詞がありますが、日々それを実感する旅でもあります。
 豊橋演劇鑑賞会は僕が芝居の世界に入ったのと同じ年に発足していました。京楽座としては初御目見得なのですが実は研究生の時代から数えると何度もお邪魔していました。『しみじみ日本 乃木大将』『国語事件殺人辞典』『芭蕉通夜舟』(いずれも井上ひさし作/木村光一演出)『日本人のへそ』(井上ひさし作/栗山民也演出)。個人的に言えば5回目になります。
 いずれの会場もお客様がとても温かです。

 さて本日は、旅公演中の初めての移動日。大垣市にやってきました。移動だけで本番のない日を「のり日」と言いますが、一座も紀伊國屋ホール前から一日の休みもなく旅公演でしたので今日は久々にリラックスです。
 大垣の街は城下町あるいは芭蕉の『奥の細道』むすびの地でもあります。が、13・4年前に説経節三部作の『をぐり考』を作る過程でふじたあさや先生と取材に訪れたことがあります。
 小栗判官と照手姫を祀った縁結びの神社「結神社」、ポスターにも使わせていただいた照手姫の絵馬が奉納されている明星輪寺(こくぞうさん)、照手姫が売られた青墓の女郎屋跡や水汲み井戸等など、『をぐりフォーラム』代表で、大垣市青墓在住の堤正樹さんに案内していただいたものです。
 大垣市は城下町や芭蕉で町興しを考えている様子で、あまり照手姫には関心がないのかなあ。駅前の市の観光課で聞いてみても担当者は「?????」という感じでした。
 説経節の中で最もダイナミックでスケールの大きい「をぐり」のラストシーンがこの大垣でもあります。中世のラブストーリーにも目を向けていただきたいのですが…。
 明日は、大垣演劇鑑賞会。開演18時30分。
# by kyorakuza | 2010-11-07 20:29
2010年 11月 04日 エノケン一座の旅 知多 岡崎
 紀伊国屋書店入口の看板に「売切れ御礼」の札が貼られたのは初めてのことでした。10月29日~31日の紀伊国屋ホールでの公演を大入りではねて、翌日から旅に出ました。
 11月2日は知多。今月いっぱい続く旅の初日であり、主催者の「ちた半島演劇鑑賞会」第一回例会の日でもありました。戦後の演劇鑑賞運動を作ってきた全国の演劇鑑賞会はこの不況の中で、縮小や解散を余儀なくされているところも多いのですが、知多ではなんと誕生しました。その第一回の例会に招かれたのです。お客様も少々興奮気味。そりゃそうでしょう、自分の子を産むようなものです。
 「中西和久のエノケン」を見たお客様が、演劇は面白いと言って友人知人家族に声をかけて会員が増えていくか…京楽座にとってもここは「勝負」なのです。
 そうです演劇鑑賞会は会員組織です。ほとんどの都道府県に鑑賞組織があって僕も研究生のころから、旅でめぐっています。一番長かった旅は芸能座の最終公演「しみじみ日本 乃木大将」(井上ひさし作/木村光一演出)でしょうか。半年間続きました。
 戦後の新劇運動を見るほうから支えてきたのがこの鑑賞組織です。だから見上手で、多くの名優や演出家・劇作家を育ててきたし、時には厳しい批評も出ます。
 さて、知多では終演後急遽ロビー交流も企画され20分ほどの質疑応答となりました。
 実はこの「ちた半島演劇鑑賞会」代表の北川さんのお兄さんは、僕の師匠の小沢昭一さんが「日本の放浪芸」探索の途上で大変世話になったお方でもあるのです。北川さんのお兄さんは尾張万歳の伝承者で小沢さんはそのお兄さんとコンビを組んで、万歳の旅に出ていました。この様子は名著「日本の放浪芸」の初めに出てきます。
 また、この地では北川さんのご尽力で10年ほど前に「しのだづま考」、そして3・4年前に「ピアノのはなし」を上演させていただいていますので、因縁浅からぬものを感じるのです。
 どうぞ「ちた半島演劇鑑賞会」がますます発展していかれますように。

 さて、今日は岡崎でした。
 見巧者です。芝居を見る時間を楽しむというお客様ばかりで、芝居がとても膨らみました。出演者一同とてもノッテやることができました。
 紀伊国屋ホールと比較すると、客席も舞台も三倍くらいの大きさです。だから動く量はグンと増えるのです。たとえば紀伊国屋で三歩のところを今日は10歩くらい歩くのです。が、その間をお客様の反応が埋めてくれます。見上手とはこういうお客様を言うのでしょう。
 
 旅は始まったばかり。
 「旅日記」ですから、どんどん更新していきます。乞うご期待!
 
# by kyorakuza | 2010-11-04 02:27
2010年 09月 12日 エノケン一座の合宿
 まだまだ猛暑は続いていますが、それでも時折吹く風に秋の気配の感ぜられるころとなりました。なんだか手紙の書き出しみたいになりましたが、実は今日から『中西和久のエノケン』の出演者一同は高尾山にある高校の廃校を借りて四日間の合宿に入りました。
 初日は、井上ひさし笑劇集から『交番日記より』『死刑台の男』『入社試験』の三本のコントを稽古しました。最終日に発表会です。
 明日は、佐藤千恵先生指導の楽器練習。楽器の稽古もそろそろ一年間やったことになります。明後日は火口ひろ子先生指導のタップダンス。その間にもちろんエノケン本番の稽古。
 9月16日にはいよいよ武蔵小杉の稽古場で『中西和久のエノケン』再々演のためのスタッフ、出演者一同の顔寄せとなります。
 さていよいよ来月は紀伊国屋ホールでの公演、そして中日本へのひと月の旅です。
 高尾山はもう秋です。
# by kyorakuza | 2010-09-12 21:46
2010年 07月 01日 『井上ひさしさん お別れの会』
 4月9日に旅立たれてから、3カ月が過ぎようとしています。
 今日午後5時半から、丸の内の東京会館ローズルームで「お別れの会」が開かれました。皇居を見下ろす会場は1000人余りの人々で満杯。故人の活動の幅の広さがしのばれます。ですから主催はこまつ座でも、日本劇団協議会でも劇作家協会でもありません。「実行委員会」でした。
 会場正面にはこまつ座スタッフ制作による、遅筆堂用箋の原稿用紙を拡大した幕がたらされ、そこに生前の井上先生の写真が投影されています。また、その前には高さ2m、幅15mはあろうかという書棚が置かれこれまでの全作品の出版物、台本などが飾られていました。
 壇上には未亡人の井上ユリさん、そして昨秋からこまつ座代表取締役となっていっさいを引き受けた三女の痲矢さん。司会はNHKのベテランアナウンサー。名前を控えるのを忘れました(すみません)。
 まず一分間の黙祷。
 「送る言葉」を作家の丸谷才一、そして大江健三郎、演出家の栗山民也の各氏。
 まず丸谷才一氏は「井上芝居を見たことを、後世の人々に誇りを持って語ることができる」と述べ、大江健三郎氏は「シベリヤ抑留を題材にした最後の小説『一週間』からは、人間を辱めてはならぬという強烈なメッセージが伝わってきた」と語り栗山民也氏は「普通の人々の普通の生活を丹念に描いた。一言一句、間違いのないように後世に伝えていきたい」と述べていました。
 それぞれの人々のそれぞれの言葉が、胸に響きメモを取るのを途中であきらめたので、とくに印象に残った言葉だけをここに記しています。
 印象に残ったと言えば、丸谷才一氏の言葉の中で「明治以降の作家群は芸術派、プロレタリア派など三つの系譜に分けることができるが、井上ひさし氏はプロレタリア文学に属する。氏の父は豊富な才能を持ちながらも官憲の弾圧に遭って、ひさし氏5歳の時に他界した。氏はその父の遺志を受け継いだのである」との言葉でした。
 井上先生の最後の芝居となった『組曲虐殺』は小林多喜二の29年の生涯を音楽劇に仕立てたものでしたが、作品全体から時代と斬り結ぶ作家の殺気を感じました。去年の11月、天王洲アイルで見ました。
 
 壇上には、今年7月に紀伊国屋サザンシアターで上演が予定されていた『木の上の軍隊』のポスターが展示されていました。敗戦の年の沖縄戦から2年間、敗戦を知らず木の上で暮らしていた日本兵たちに材をとった話だったそうですが、和田誠さんデザインによるポスターがむなしく目を引いていました。
 歓談の時間が過ぎて、閉宴の前に『組曲虐殺』の音楽とピアノ演奏を担当された小曾根真さんのピアノ演奏と出演者による合唱。そして未亡人となったユリさんのごあいさつで幕を閉じました。
 
 来年5月5日には井上先生の出身地山形県の蔵王松が丘に『井上ひさし未来館』が開館するそうです。
 かつて僕は『イーハトーボの劇列車』という作品に出させていただいたことがありましたが、その終幕はその劇列車の車掌がこの世に思いを残して、旅立っていた人々から預かった『思い残し切符』を客席に向かい万感の思いを込めてばらまくという印象的な幕切れでした。

 井上ひさし先生からの『思い残し切符』を、僕らは確かに受け止められるのか…さて、どーするどーする。
# by kyorakuza | 2010-07-01 22:40
2010年 05月 24日 北林谷栄さん 逝く
 先月は、演劇界にとっても、僕個人にとっても、とても尊敬する二人の演劇人がお亡くなりになりました。
お一人はこの旅日記でも前回書きましたが、井上ひさし先生(享年75)。
 そして、もうお一人が4月27日にお亡くなりになった劇団民芸の北林谷栄さん(享年98)。
 僕からは「さん」というより「先生」と言うべきなのでしょうが、どちらかと言うと「ちゃん」と言いたくなるほどかわいらしい女優さんでした。
 北林谷栄さんは、ご存知のように「日本のおばあちゃん」といえばこの人と言われるほどの名優中の名優。僕がその女優さんを初めて見たのは今村昌平監督の『にあんちゃん』でした。九州唐津の炭鉱町を舞台にした映画で、北林さんは在日朝鮮人のおばあさん役。ちなみに小沢昭一さんも在日朝鮮人の元炭鉱夫役で、お二人ともこの作品でブルーリボン賞助演女優賞・男優賞を受賞されました。白黒映画で僕は小学生でした。
 さて、北林さんとお目にかかったのは、10年ほど前のことでしょうか。両国シアターX(カイ)で『山椒大夫考』を上演した折、終演後のロビーで会いました。それまでも何度か僕のひとり芝居を見にいらしたらしいのですが、お目にかかったのはその時でした。
 『山椒大夫考』は幕切れが不思議な芝居で、クライマックスの説経浄瑠璃「親子対面の段」が終わって、もう一度最後の歌が入って幕なので、どこが幕切れなのか戸惑われるお客さんもたまにいらっしゃいます。
 その時もそうでした。前から5番目中ほどのお客さんで、白いダウンコートを着た年配の女性。説経浄瑠璃の終ったところで立ち上がり、拍手を始めたのです。いわゆるスタンディングオベーションです。「まだあと2分あるのに、気の早い客だなあ」と思いつつも、喜んでいるみたいだから「まいいか」と思って歌っていても、たった一人のスタンディングオベーションは終わらないのです。そのままカーテンコールになってしまいました。
 終演後、ロービーに出てみて、その年配の女性が北林さんだということがわかりました。
 その時に撮った北林さんとのスナップ写真が一枚だけありますが、僕の宝物です。

 その後、北林さんは「中西君の『しのだづま考』をやりたい!」と熱心に民芸を口説き、ふじた先生を口説きとうとう劇団民芸で『北林版 しのだづま考』を制作することが本決まりになって、民芸のホームページに制作発表が載りました。
 しばらくするとその制作発表のページが消えました。北林さんの体調が芳しくなくなったためでした。北林谷栄さんはその時すでに90歳を超えていらしたと思います。
 『しのだづま考』は27役を一人で演じ、最後はその演じていた中西が実は、信太の森に千年棲むというキツネだったという仕掛けなのですが、北林さんの千年狐を僕は見てみたかったのです。
 その『北林版 しのだづま考』の話が出てからの、ラストの千年狐は「北林さんならどう芝居をするだろう?」と思いながらの役作りになりました。そして、その役作りは今も続いています。北林さんは僕に大きな宿題を残して、逝ってしまわれました。
 
 北林谷栄さん、演劇史に燦然と輝く女優さんです。ご冥福をお祈りいたします。 
# by kyorakuza | 2010-05-24 01:11
2010年 04月 12日 井上ひさし先生 逝く
 4月9日午後10時22分だったという。心臓停止が22時22分、「ツーツーツーツー」。そこまで洒落なくても…。でも、井上先生のことだからそこまで考えていたのかもしれない。
 昨年の11月、静岡の演劇鑑賞会の集まりで三女の麻矢さん(現・こまつ座社長)と会った折、先生の病状は何となく聞いてはいたものの、こんなに早く逝ってしまわれるとは思ってもいませんでした。
 僕の初舞台が1977年秋の『浅草キヨシ伝・強いばかりが男じゃないといつか教えてくれた人』(作・井上ひさし/演出・小沢昭一)でした。以後井上作品には
『しみじみ日本・乃木大将』(演出・木村光一)
『イーハトーボの劇列車』(演出・木村光一)
『薮原検校』(演出・木村光一)
『国語事件殺人辞典』(演出・木村光一)
『吾輩は漱石である』(演出・木村光一)
『芭蕉通夜舟』(演出・木村光一)
『日本人のへそ』(演出・栗山民也)
『仇討』(TBSラジオドラマ)
と、出演させていただきました。
初演・再演を含めお芝居の上でも、個人的な範疇でもずいぶんお世話になりましたし、ご迷惑も多々おかけしました。僕がこうしていまだにお芝居の世界をうろうろしていられるのも、井上先生の舞台に立たせていただき、演劇のABCから学ばせていただいたおかげです。
 近年は、日本劇団協議会の、先生と同じ演劇センター構想委員の一員として何かご一緒に仕事ができるのかもしれないと期待していましたのに、それもかなわぬこととなりました。
 今月から6月までの新国立劇場制作『夢』三部作を見に行く予定です。
 
 ご冥福をお祈りいたします。
# by kyorakuza | 2010-04-12 01:15