今朝は初雪だったとか。しんしんと冷える。繁華街で長浜ラーメン一心亭のかためんラーメンを食べた。福岡市長浜の本店より美味い。しかめっ面の店長を誉めたら、ニコッとそうこうを崩した。食べながらメニューを眺めていたらキクラゲラーメンがあった。残念〓。八戸で長浜ラーメン?っと近くにラーメン屋がなかったので、ま、しょうがないかと思って入ったところが意外や意外。だからろくにメニューも見ていなかったのだ。久留米の大砲ラーメンもいいけれどキクラゲラーメンのないところがおしい。その弟子筋の天砲ラーメンにはちゃんとある。ちなみに、長浜ラーメンは正確に言えば博多ラーメンとは言わない。福岡市は市内を流れる那珂川を挟んで東部の博多、西部の福岡にわかれている。博多は商都、福岡は城下町。JRは博多駅、西鉄は福岡駅。長浜は福岡市中央区に位置するので博多ではない。だいたい博多ラーメンやトンコツラーメンなどと言うようになったのは、この20〜30年だ。博多にはラーメンといえばトンコツしかなかったし、トンコツラーメ
ンがラーメンだったのだ。 大学生になって東京に来て、初めてラーメン屋に入ってラーメンを注文した。出てきたラーメンを見たとき「騙された!」と思った。汁が黒かった。箸も着けず、席を蹴って出てきた。二軒目もそうだった。東京に出る時祖母から「都会にはろくな連中はいないから、騙されるな。」と重々諭されていた。 三軒目に入って、今度は大丈夫だろうと、周りを見てみるとなんと、その黒汁のラーメンを皆、旨そうにすすっている。 注文してその黒汁ラーメンを一口すすってみた。「東京人はこれをラーメンとよんでいるのか。ケッ!」 母国語と外国語、くらいに差のあるのがラーメンにたいする味覚のようだ。。それぞれの風土で味は醸成されていく。味覚は郷愁かもしれない。 #
by kyorakuza
| 2011-11-17 03:26
今日は富山に来ています。この7月8月に演劇鑑賞会の中部北陸ブロックで『しのだづま考』の上演が決まり、その事前の勉強会にお招きいただいてこの十日間ほど各地を巡っているのです。
三月の旅日記からまたずいぶん飛んでしまいましたが、4月1・2日の三多摩演劇鑑賞会では計画停電の中、開演時間を変更して『しのだづま考』無事舞台を務めることができました。 また、演劇鑑賞会関越ブロックの例会は当初の計画では4月の予定であったところを地震の影響で使用不可能となったホールが出たために、5月に延期となり『をぐり考』生演奏付き11ステージ、無事千秋楽を迎えることができました。演劇鑑賞会の皆さまのお力添え、スタッフそして生演奏陣の皆さまのご協力に心から感謝しています。それぞれのステージであらためて発見があり工夫を重ねたところもありますので、企業秘密以外のところは、おいおい書いていきますね。 さて、今日(実はもう昨日)一番のニュースは、筑豊の画狂と謳われた山本作兵衛さんの炭鉱絵の数々が、ユネスコの世界記憶遺産に登録されたことです。フランス革命の「人権宣言」や「アンネの日記」と並んで人類の遺産となったのですからスゴイ! 山本作兵衛さんについては演劇雑誌「テアトロ」の本年4月号に「魅力か魔力か」と題して駄文を載せていますし、このHPのエッセイの欄に載せていますので、お読みいただくと僕と作兵衛さんのかかわりはお分かりいただけると思うのですが、もうひとつ、数年前にNHKのドキュメント「作兵衛さんの炭鉱(ヤマ)」で僕がレポーターになったり筑豊の炭鉱夫になったりした番組がオンエアされました。2時間番組だったでしょうか。 語りを加賀美幸子アナウンサーと僕でつないでいったのですが、加賀美さんの語りの虜になったのはその時でした。だから去年は、無理を言って京楽座のワークショップにも来ていただきました。 また、その時のディレクター渡辺考さんは先月京楽座稽古場の花見に小学生の娘さんを連れていらしていましたが、「これから福島に行くんです」とおっしゃっていました。 原発事故の敷地内や汚染された村や町に入って約ひと月取材したドキュメントは5月15日(日)放送され、大反響を巻き起こしています。命がけの仕事です。 山本作兵衛さんを画狂と言って心酔した記録作家の上野英信さんは「金を惜しむな、時間を惜しむな、命を惜しむな」をモットーに「炭鉱」を描き続け1987年没。63歳でした。「追われゆく坑夫たち」「地の底の笑い話」「天皇陛下万歳ー爆弾三勇士序説」「出ニッポン記」等など上野先生の作品群も命がけの仕事でした。 作兵衛さんが絵を描き始めたのは炭鉱を退職した60歳くらいからのこと。1984年没。享年92。 僕が、上野英信さんに呼ばれ、筑豊の嘉穂劇場で『山本作兵衛翁記念祭』のお手伝いをしたのが1985年秋。 その翌年から、僕のひとり芝居の旅ははじまりました。 #
by kyorakuza
| 2011-05-27 04:03
まだ三月は終わっていないのに、次から次にという感じです。
3.9の乃木坂シアターコレドでの『エノケンチンドンバンド』お披露目ライブは、好評のうちに幕となったのですが、さて3・11。 昼に武蔵小杉の稽古場に行き、車で築地の事務所に向かっていた3時ころ、田園調布のあたりで車が妙に揺れだしました。道の両側の並木や電柱や電線が揺れ始め、高層ビルとビルがぶつかりそうなほど揺れていました。ゆっくりゆっくり車を走らせたのですが途中から、救急車やパトカーのサイレンがひっきりなしに聞こえてきました。 事務所に帰りつくと、10階の部屋は足の踏み場もないほど(じっさいもろもろを踏みつけながら歩いていました)の壊滅状態。制作部のクミちゃんの姿が見えず。声をかけるも応答なし。てっきり倒れた本箱の下敷きになったと思いました。が、あまりの恐怖でクミちゃんは外に避難していました。 あまりショックが大きかったみたいなので気持ちを落ち着けるために事務所の3人でデニーズに行ってまずはお茶。 それから片づけに入ったのですが、ようやく足の踏み場を確保したところでその日は午後8時にUP。 交通機関がマヒ状態なので僕の車で二人の事務局を送っていくことにしましたが、結局送り終えて自宅に戻ったのは朝の6時でした。 自宅も壊滅状態。ようやく寝る空間を確保して、バタン。 続きは後日。 #
by kyorakuza
| 2011-03-27 01:43
来週、乃木坂のコレドシアターで「エノケン・チンドン・バンド」のお披露目ライブやります。
コレドシアターは桃井かおりさんのお兄さんがオーナーをやっているクラブで、乃木神社の真ん前。小劇場やちょっとした催し物の会場として今人気のスポットです。 僕がびっくりしたのは乃木神社が真ん前だっていうこと。ここは30年ほど前、芸能座公演『しみじみ日本 乃木大将』(作・井上ひさし/演出・木村光一)で稽古をしているころよく通ったのです。 乃木大将は明治天皇が亡くなってから間もなく、静子夫人とともに殉死したのですが、その亡くなる日の夕方の数時間のうちに、その乃木邸に飼われている馬たちが「大将の様子がヘンだ。死ぬのか死なないのか、なぜ死ぬのか?」などと考えながら乃木大将の一生を振り返っていくという馬芝居でした。その中で僕は唯一人間の役。「感心な辻占売りの本多武松少年」という長い役名の少年でした。幕開きと終幕だけに出てくる役ですが現在は三河屋の小僧、乃木大将の書生になりたくて近所の酒屋に奉公しているという少年、実はお父さんは日露戦争の戦死者。あの手この手で乃木大将に取り入ろうとするのですが、ななかなOKを出してくれない大将に向かって最後は「僕のお父さんは…閣下の作戦下手のせいで戦死したようなものなんですよ!」と言ってのけるしたたかな少年でもありました。 乃木坂のクラブと聞いて、どうも僕にはなじみのないところだなあと思って先日このクラブに行ってみたら、正面が乃木神社!馴染がないどころか思い出深い坂道でした。 ここでライブをやります。どうぞにぎにぎしくお運びください。 歌います踊ります! #
by kyorakuza
| 2011-03-03 01:55
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