2013年 02月 16日 永さんが泣いた
 一昨日、東中野のポレポレ坐に行きました。写真家の本橋誠一さんがやっている映画館と喫茶店とイベントスペースが一緒になったようなビルで、今では東中野の名所です。客席数150くらいの映画館はいつも良質の映画をやっているし…なにしろ本橋さんは超一流の写真家であるばかりでなく、チェルノブイリ事故を追った「アレクセイの泉」は米国のアカデミー賞候補になったというくらいの映画監督でもあります。また、小沢昭一さんの「日本の放浪芸」探索の旅に同行してずーっと写真を撮っていた人です。
 ポレポレ坐になる前は、お父さんの代からの「青林堂」という本屋さんでした。この本屋さんの2階の空いたスペースで1986年、僕の最初のひとり芝居の稽古が始まりました。
 ちょっと本橋さんの顔を見ようと伺ったんですが、たまたまその日は、夕方から小室等さんのコンサートでゲストが永六輔さんでした。
 開演まで時間があった......ので、打ち合わせの席になぜか僕も飛び入り参加、近くの中華料理屋でご相伴させていただきました。
 永さんはご存知のように、現在はパーキンソン病に罹っていらっしゃいます。でもこの日は調子も良かったようです。19時から小室さんのインタビューに永さんが応え、小室さんが歌うといういい時間でした。
 小室さんの歌は、「上を向いて歩こう」「遠くへ行きたい」等、永さんの作詞した歌を歌っていらっしゃいましたが、急に永さんが泣き出してしまいました。永さんにはもう30年以上お世話になっていますが涙を見たのは初めてです。永さんが泣いた歌は…題名が出てこない!(そろそろ俺もヤバイ!)
「いつもの小道で 目と目が会った…」
「いつもの小道で 手と手が触れた」知ってますよね!
初恋の男の子の淡い気持ちを歌ったものです。でもこの歌には永さんが戦中、長野県のある町に疎開している時の思い出が詰まっていました。疎開したその町の近くには「敵性外国人」の収容所があって、よく道ですれ違うそこの女の子に永さんは夢中になったんだそうです。その女の子がロイジェームスさんの妹さんだったとか…。
 だから戦後、永さんはロイジェームスさんとたくさん仕事をされています。
 いいコンサートそしてトークショーでした。帰りに永さんの新著があったので2冊買いました。「無名人のひとりごと」(週刊金曜日)そして矢崎泰久さんとの対談集「ぢぢ放談」(創出版)。永さんが出口に立ってお見送りされていたのでサインをいただこうかと思ったのですが、パーキンソンだし、2時間もしゃべってらしたのでお疲れだと思って、そのまま失礼しました。
 JR東中野から総武線に乗ると、新宿あたりで何となく見たようなひとが僕の前に座りました。よく見ると今、開いている本「ぢぢ放談」の、もう一人の相手、矢崎泰久さんです。この広い東京でこれは奇跡に近い!
 失礼も顧みず「矢崎先生、サインください!」
表紙を開くと矢崎さんは僕の名前と日にちを入れて「永」と書き始めました。「あのー、それ…」
「いいの、永さんがいないときは僕が代筆することになってるの。僕がいないときは永さんが僕のサインをすることになってる。」そういえば矢崎さんは永さんとそっくりのサインをされました。
 市ヶ谷でお別れするまでの数分間、わが師小沢昭一さんの納骨の話になりました。僕がちょうど「中西和久のエノケン」で四国をツアーしていた時、1月27日(徳島)でした。小沢さんは向島の黄檗宗(おうばくしゅう)弘福寺に眠っていらっしゃいます。もっと見る
by kyorakuza | 2013-02-16 21:58
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